【会社名】株式会社 梅月堂
【住所】本部:〒859-0403 長崎県諫早市多良見町市布1530/本店:〒850-0853 長崎県長崎市浜町7-3
【主な事業内容】和洋菓子製造販売、喫茶店
【取材先】本田時夫(代表取締役社長)、本田典子(副社長)

※取材:2026年


約70年間、愛されつづけるケーキ

長崎に「シース」の愛称で長年愛されているケーキがある。正式名称は「シースクリーム」。
スポンジとカスタードクリームの土台に、生クリームのデコレーション、シロップ漬けの黄桃とパイナップルが添えられたシンプルで愛らしいケーキだ。

しっとりフワフワのスポンジ、甘みを抑えた生クリームと優しく甘いカスタード、フルーツのほのかな酸味が、唯一無二の味を作り出す。不思議と、2個、3個と食べたくなる、さらりとしたスイーツ。

誕生は1955(昭和30)年頃。冷蔵技術が向上したことで生クリームの流通が可能となった時代、当時のシースは二枚のブッセ生地でカスタードクリームを挟み、生クリームとフルーツをトッピング、端にチョコレートをかけたものだった。当初、店には冷蔵設備がなく、作ったそばから店頭に並べ、売っていたという。

ちなみに「シースクリーム」の名は、この初代シースの形から名づけられた。二枚合わせのブッセ生地を豆のさやに見立てたのだが、間違えて刀のさやの英語訳「シース(sheath)」を採用してしまった。それに気づいたのは発売から50年以上も経ったあと。もはや訂正はできなかったため、誤解がないよう「sheath」を「ceece」と意味を持たないつづりに変更し、正真正銘、梅月堂オリジナルの名前に。なんとも大らかで微笑ましいエピソード。

やがて、より美味しさを求め、シースはモデルチェンジする。ブッセ生地から小判型のスポンジ生地に、周りにはそぼろ状のスポンジ生地(クラム)を纏わせた。

この二代目シースは爆発的な人気となった。考案したのは梅月堂四代目・本田時夫社長の父、久喜さん。

その人気ぶりは、製造工場からトラックで店に到着すると、待ちわびた客たちが手を差し伸べ、ショーケースに並べる暇(いとま)もなくトラックの上から直接売っていたというから恐れ入る。いまでもこのそぼろ付きシースを懐かしむ人は多いそうだ。

本田社長の代になり、冷凍技術と流通網が発達してくるといまの四角い形に。2009年に全国ネットのテレビ番組で紹介された際には、1日平均3,000個、多いときは12,000個の注文が入り、冷凍での全国発送を初めて行った。それに手応えを感じ、翌年には本格的に冷凍での全国発送を開始。いまでは年間約18万個の売り上げを誇る。

「やっぱり飽きないんです。長崎でこの味を覚えた方が、よそへ行かれてもまた食べたくなるというのは、とてもありがたいことです」。(本田社長)

梅月堂四代目 本田時夫 社長
毎日13時からの30分間は「ピーチカット」タイム。工場の職人全員が一つのテーブルに集まり、シースクリームに載せる桃をカットする。カットで出た端材はロールケーキやカフェで出すパフェの材料となる。
本店2階にはカフェを併設。「いまの60代70代の方は、学校帰りにカフェに立ち寄ってシースと玄米茶を召し上がっていた思い出があるそうです」。(本田典子 副社長)

もう一つの看板商品「南蛮おるごおる」

梅月堂の創業は1894(明治27)年。初代・本田兼作は和菓子職人で、島原から長崎へ和菓子匠仲間と出てきて梅月堂を興した。兼作に子がいなかったことから弟の本田藤四郎が養子となった。藤四郎も同じく和菓子職人で、二代目として兼作のあとを継いだ

長い歴史を誇る老舗には、その分たくさんの看板商品がある。その一つが「南蛮おるごおる」。

誕生は50年ほど前。シースクリームのカスタードを作る際に余る卵白でなにか作れないか、と考えた末に生まれた。
注目したのは、ラングドシャをくるりと巻くヨーロッパの伝統菓子「シガレット」。当初は生地を一つひとつ鉄の棒に手で巻いて作っていたが、人気商品となり、手仕事を再現する機械を開発。大量生産が可能になった。

サクッとした薄く軽い歯ざわりの生地からは思いもよらないほどの、深く、コクのある味わい広がる。
レトロでロマンを感じるパッケージのイラスト
画家・田川 憲氏の作品 「西洋骨董店にて」

レトロでロマンを感じるパッケージのイラストは、長崎の風景を水彩画や版画で残した画家・田川 憲氏の作品 「西洋骨董店にて」(写真上右) が元となっている。

当時、店の一階に喫茶室があり、田川氏は夕方になるとコーヒー飲みに来ていたそうだ。その頃の喫茶室はサロン文化の雰囲気があり、長崎の紳士淑女が集まっては情報交換をしたり、文化芸術の話に花を咲かせていた。そんな縁から葉巻の箱をイメージした木箱に、田川氏の作品が使われることに。発売当時、実際の葉巻の箱を分解・研究し、木箱でリアルに再現。夜な夜な、ベニヤ板に焼き印を一つひとつ押し、すべて手作業で組み立てていたという。木箱から紙製の箱になった現代でも、当時の空気が感じられる南蛮おるごおるのパッケージ。

しかしいま、この南蛮おるごおるにも、今年2月の米・イスラエルによるイラン攻撃を契機とした中東紛争の影響が及んでいる。ナフサ不足でリニューアルができないのだ。

「こういう繊細なお菓子は海外にはあまりないと聞いて、輸出を考えました。そのためには、賞味期限を現在の90日から180日に延ばさないといけない。船での輸送や税関で止められることを考えると、最低限180日はクリアしないといけないんですね。それでリニューアルを見据えて試験的に1ロットだけ、7本入りを3000個作ったのですが、それ以上作れなくなってしまった。今後どうなるかわかりません。できる形でリニューアルはしたいと思っていますが」。

そう話す副社長の本田典子さんは、まずはいまあるものをいかに売るか、前向きな見直し、原点回帰を考えているという。

病院内のケーキ店

長崎大学病院の一角に梅月堂が店を出して40年以上が経つ。全国的にも珍しい病院内のケーキ店。この店は以前、人気のドキュメンタリー番組にも取り上げられた。クリスマスの72時間を追ったドキュメンタリーだ。

ここでも人気ナンバーワンはシースクリーム。ショーケースにはほかにもたくさんのケーキが並び、外来や入院中の患者、付き添いの家族、病院スタッフなどが訪れる。

「当時、病院職員の方から院内の喫茶店でケーキを食べたいとの要望があったそうで、たまたま両親と近しかった大学職員の方から声をかけていただきました。当初はその喫茶店のケーキとして出させていただいたのでウチの店ではなかったのですが、ありがたいことにケーキの売れ行きが良く、最終的には『梅月堂さんが運営されませんか?』とおっしゃっていただいていまに至ります」。(本田社長)

番組では、日頃お世話になっている病院スタッフへお菓子を買う入院患者、通院のたびに家族にケーキを買って帰る女性、術後の経過が良く、お祝いにと買う親子、同僚たちへの差し入れに大量購入する医局長など、大切な人の幸せを願う、それぞれのクリスマスが描かれていた。

「考えてみれば、病院職員の方も入院されている方も、皆さん心のどこかでお菓子を食べたいんですよね。なかには医者から禁止されているけど、こっそり買ってその場で食べて病室へ戻る、というような方もいらっしゃる。お菓子の本質って、まさにそういうものなんじゃないのかな。どうしても食べたい、隠れてでも食べたいというね」。(本田社長)

梅月堂 大学病院店

「いつもの」を大切に

2024(令和6)年、創業130周年を迎えた梅月堂はコンセプトを一新した。
新しいコンセプトは「いつもの」。

様々な人から、「季節のケーキも買うけど結局箱にシースを入れたくなる」「一周回って結局いつもシースなんだよね」という話を聞き、今後、創業140年、150年に向けてそういうことを大切にしようと、典子副社長が考えた。本田社長も、良い言葉、良いコンセプトだと高く評価する。

そしてもう一つ、130周年の節目を機に始めたことがある。
嚥下(えんげ)機能に配慮した、みんなが食べやすい本格ケーキ「Uni Cake Box」の発売だ。

味はシースクリーム、ショコラ、ベリーの3種。スポンジを使った本格的な味わいはそのままに、誰もが安心して食べられるよう工夫されている。

「何年か前からお医者様たちからお声がかかっていたんですけど、なかなかそこにハードルを上げることができなくて。でも、130年の節目を迎えて、生まれてから一生、変わらずに召し上がっていただければと思って。小さな頃から慣れ親しんだ“いつもの”お菓子を」。(典子副社長)

医師たちと共同開発し、商品化にはモニタリングも含めて2年の歳月をかけ、昨年6月、販売を開始した。

「『みんなで食べて美味しい』をコンセプトにしています。家族みんなで、飲み込む力の弱いお子さんやご高齢の方も、同じものを楽しめるというのはいいんじゃないかな、と」。(典子副社長)

「老舗の革新というのは真髄だと思います。革新性がなければ長く続かない。受け継ぐ若い人たちが抵抗なくお菓子屋をやっていける時代になるといい。次の世代の人間が思うようにやっていけばいい」。(本田社長)

130年にわたり積み重ねてきた老舗の「いつもの」が、時代と共に新しい姿を現し、広がっていく。

本田時夫社長(左)と本田典子副社長