離島振興・地方創生のための総合コンサルティンググループを目指し、食品業界の製配販OBや関係省庁官僚OBなど、さまざまな業界の有識者にご参加頂きました。理事メンバーを紹介します。
千野 和利
理事長
販路開拓 経営戦略
昭和47年大学卒業後、㈱阪急百貨店に入社。平成11年取締役、同13年㈱阪急オアシス代表取締役社長、同29年代表取締役会長兼社長を経て、令和2年4月より現職。一般社団法人全国スーパーマーケット協会の副会長も務める。

メッセージ
47年間の小売業を通しての会社生活。とりわけ後半17年間の阪急オアシスの社長・会長時代の思い出が厳しくもあり、楽しくもあったかけがえの無い経験であったと思います。この時代の私の口癖は「思い強ければ道は開ける」でした。何とかしてやり抜こう、最後まで到達しようとの強い思いが周りの人達にやれば出来るかもしれないと思わせる。思えば私のこれまではこのような繰り返しであった感がします。それと「構想力と実現力」も幾多の講演会で使った記憶があります。いつの時代も企業を取り巻く環境の与件は一定ではありません。しかしながらそれらの与件を通してこれからの数年先を見た時、何をすべきかどちらの方向にベクトルをきるべきかを見定める必要があります。それがビジョンであり無から有を創る構想力です。後はそれを実現する為の精密なプランニングを積み上げることが実現への近道と思われます。70歳古希で退任し人生100年を標榜し、新しい構想力と実現力で新たな有を創り出したいと思います。お付き合いください。
高岡 久
専務理事
営業 販路開拓
昭和54年皇学館大学卒業後、建設関連商社勤務の後平成2年大塚食品(株)入社。全国支店、本社勤務を経て平成28年定年退職後、アース製薬(株)入社。令和2年4月より現職を務める。

メッセージ
協会のメンバーとして、初めて五島列島・壱岐・対馬と訪問しました。
そこには豊かな自然の恵みと、厳しい環境のもと、機械化されていない手作りの島ならではの産品の数々がありました。伝統を守りながら手塩にかけられた逸品ばかりです。しかし素晴らしい商品が島に有る事を多くの国民は知らない。私は一人でも多くの人々にその商品を伝え、知って頂きたい。そして島の人々の熱い思いを伝え続けていきたいと思います。
また、島の抱える課題は多岐にわたっています。
人口減少と高齢化・産業の活性化・耕作放棄地の増加・島からの輸送手段・通信基盤の整備等々、これらの課題に協会を支えて下さっている皆様と知恵を出し合い解決に向け地道に努力していきたいと思います。
舘 逸志
理事
地⽅創⽣ ファシリテーション
昭和56年大学卒業後、経済企画庁に入庁。環境庁、外務省、在タイ日本大使館、タイ政府顧問、内閣官房地域再生本部、官民競争入札監理委員会事務局長、国土交通省政策統括官、内閣審議官を歴任。現在はコンサルタント、埼玉大、KIT客員教授。

メッセージ
国土交通省において、離島・半島振興の担当審議官として島との繋がりができました。島には日本の原風景が多く残っています。様々な祭り、食文化、大陸や南方との交流などです。長崎県の五島は、古代中国との交流の拠点であり、空海を始め遣唐使の日本出帆の記録が残っています。また、日本国家の存続のためには、海洋大国としての領海、排他的経済水域が重要です。例えば、日本はエネルギー資源に乏しいですが、浮体型洋上風力発電を沖合30キロ程度の風況の優れた海域で行えば、日本のベース電力は十分賄えます。
今、離島では生活条件不利のために人口が激減しています。日本の将来のために、離島と海域を守るためにも、離島に人が住み、経済活動を行っていくことが重要です。
協会は、マーケットインの視点から離島の農水産業の活性化を図る組織で、日本の食品業界の枢要の方々が参画されています。是非、こうした方々のお力をお借りして、離島の生活、産業、文化、風土を守っていきたいものです。私としては、行政、全国の離島支援団体と協会の連携を図っていければ嬉しく思います。
寺嶋 晋
理事
マーケットリサーチ ブランド開発
昭和57年ジャスコ現イオン入社。同社新潟商品部長・農産商品部長・生鮮商品部長を経て、平成22年マックスバリュ東海代表取締役社長、同25年ダイエー取締役執行役を務める。現在は和歌山で農園を運営。

メッセージ
農業は素晴らしい。しかしあまりにも生産者と消費者の距離が遠くお互いの信頼関係が創れていません。農産物を価格で選択する人はたくさんいます。消費者と直接対話をせず相場が高い低いで一喜一憂する作り手もたくさんいます。
日本の農業就業人口は激減し、70才近い平均年齢の人達に頼り耕作放棄地も拡大この生産現場が弱っていくトレンドは変わりません。ひとり当たりの農産物の消費量は減り、自給率も低水準のままこのトレンドも変わりません。日本の農業・環境・人々の健康は守っていけるのでしょうか。
農業を振興することで地域振興出来る。しぼむトレンドを成長トレンドに変える事が出来る。協会の使命は『トレンドを変える』ことです。私はトレンドを変える為に協会で仕事させていただきます。
千野 桂子
事務局長
プロモーション 商品開発
23年間、関西を基盤に音楽制作会社を経営。音楽プロデューサーとして、数々のCM制作、テレビ制作の音楽部門、国内外アーティストのレコーディングを手掛ける。2013年に音楽業界を引退して現在の離創協に関わる。

メッセージ
五島は食の宝庫です。対馬海流がぶつかる列島近海の五島灘では魚種が豊富であり、海の幸だけではなく、潮風に吹かれて育つ農作物など魅力あふれる食材が多い。
そのような素晴らしい環境の中であるが、島外への流通の壁が立ちはだかり沢山の人に商品を繋げていくことが難しい現状です。自然豊かな壱岐対馬においても同じく島外への流通や繋がりが困難な中、バリューチェーンの構築を主軸に「離創協」として女性ならではの視点を軸とした「Fresh Islands Project」を島の方々と立ち上げました。
今後は、商品ブランド開発を中心とした島の生産者と都市部における消費者とのお手伝いができればと願っております。
ひきた よしあき
アドバイザー
ブランディング デザイン
(株)SmileWords 代表。政治家・企業トップのスピーチライターとしても関わる。現在は、著述業を中心に、明治大学・慶應義塾大学MCC等の講師。本を15冊執筆。

メッセージ
言葉の時代です。発信力の時代です。これまでは遠くに見えていた離島も今は時空を超える。よきもの、よく暮らしが世界に拡散できるのです。私はそのお手伝いをしたいと考えています。また博報堂で36年間培ってきた「ブランド」強化のノウハウを活かして、離島や地方の総合的なブランド力をあげていきたい。そのためのHPづくりや商品ブランドの向上に努めていきます。中でも大切なのは「言葉の力」です。「よいものは伝わる」「黙っていてもわかる」という時代はとうに過ぎ去りました。逆に、言葉を間違えれば、簡単に嫌われ、炎上してしまいます。力強く効果的な言葉で、島の魅力を発信していくにはどうすればいいか。常にその問いに答えながら、新しい価値創造をめざしていきます。
吉野 芳夫
理事
経営戦略 販路開拓
昭和40年大学卒業後、安宅産業入社。同52年に合併により、伊藤忠商事㈱に入社し、平成10年取締役を経て、同15年に日本アクセス代表取締役に就任。その後、同27年にdole international holdings 代表取締役会長を経て、日本バナナ輸入組合理事長を務める。令和2年より、現職。

メッセージ
商社マン生活53年間。若い時は、日本の高度成長時代の真只中でした。その中で一貫して食料部門に在籍し、国内外を含め、広範囲に案件を追い求めて充実した時代を過ごしました。中でも、昭和38年バナナ自由化を契機に、フィリピンを舞台にしたバナナ開発輸入に着手し、生産から販売までの事業に従事した記憶が強く残っています。
また、日本アクセスの経営に参画した際には、全国の量販店・コンビニ・外食等小売企業及び各種食品メーカーと一体となって食料卸としての役割を果たし、事業を推進してきました。
このような経験の中で強く感じたことは、「周囲の人に恵まれ助けられた」という想いです。自分一人では何もできない。一緒に苦労を共にしたみなさんのおかげであり、今でも感謝の念が尽きません。
私の信条は、「人間 至る処 青山あり」。“骨を埋める墓地はどこにでもある。大志をもってことに当たれ”という意味です。
これまでの経験と知識を、今後は離創協の中で、関係する皆さんと共有させていただき、一緒に汗をかきたいと思っております。
進藤 大二
理事
経営戦略 販路開拓
昭和46年味の素(株)に入社。
平成11年取締役、同15年常務執行役員を経て、同17年に味の素冷凍食品(株)代表取締役社長に就任。
平成23年同社取締役会長を経て、同25年にハウス食品グループ本社(株)監査役。
令和2年より、現職を務める。

メッセージ
先日、五島・上五島を巡って、島の歴史の重さを感じると同時に、日本が抱える高齢化と少子化、そして地方における人口減を目の当たりにしました。さらに、コロナ禍が経済的に重くのしかかっています。
その中にあって、地場の産業を支えようと必死に頑張る方々の心意気にも直接触れることができ、島の持つ底力を感じることができました。
特に、若い経営者たちの、伝統に安住することなく多くの新しいことに挑戦していく姿勢に感銘を受けました。この日々挑戦する姿勢が少しでも成果につながるように、橋渡しするのが協会の役割と改めて肝に銘じておきます。
遠藤 正敏
理事
経営戦略 販路開拓
昭和50年、大学卒業後に㈱いなげや入社。店長、地区マネージャーを経て、加工食品部長の後、平成6年取締役商品本部長、同11年常務取締役営業統括、同13年代表取締役社長、同25年代表取締役会長、同29年特別顧問に就任。退職後は、国立音楽大学監事、令和2年4月より現職を務める。

メッセージ
食品小売業界に43年間関わり食の大切さ豊かさを追求してきました。日本にはまだ知られていない良い商品が数多くあります。特に離島には市場に出回っていない価値ある商品があるはずです。それらの品々を発見し多くの方に提供することにより離島の産業を成長発展させることが出来れば、人口減少に歯止めをかけ若者の働き甲斐のある職場を生み出しU、J、Iターンを可能とすることができます。またコロナ禍でさらに強化されたテレワークを使えば情報の受発信も離島で十分可能です。今後は都市に集中していた職場が地方に広がっていきます。
協会の活動を通して一個人事業主では実現できない販路の確保、情報収集、保管、物流問題等に横串を刺して支援し不可能を実現して行けると感じております。 先日、対馬、壱岐を視察したことにより島の方々の意欲と自分たちの商品に対する思い入れを直に感じ、協会の支援活動の重要性をさらに認識し少しでもお役に立てることができればと思っております。
中野 勘治
理事
経営戦略 販路開拓
昭和37年日本冷蔵(現㈱ニチレイ)に入社。専務取締役を経て、平成20年㈱菱食の代表取締役社長に就任。同23年㈱三菱食品会長、同26年より食品文化振興協会会長を務める。同27年オフィスK設立代表となり、同30年からは㈱ロック・フィールド他社外取締役を併任。令和2年より現職も務める。

メッセージ
長年、食品の流通に携わってきましたが、「自分のルーツは何か」と、振り返ってみますと食品メーカー、とりわけ冷凍食品の商品開発にあります。冷凍食品は自然な原料に添加物を一切加えず、加工する。これこそ21世紀の食品である、と確信してきました。
その特色を活かし、コロナ禍の中で急成長を遂げ、今や加工食品の中でNo.1の位置付けにあります。
こうした視点から離島の産物を観たとき、素晴らしい可能性を秘めていると思います。 皆さんとご一緒に、離島発の優れた産品を提供していこうではありませんか。
濱口泰三
理事
経営戦略 販路開拓
昭和48年大学卒業後、安宅産業(株)入社。同52年合併により、伊藤忠商事(株)に入社。平成16年執行役員を経て同社退社。同16年に伊藤忠食品(株)代表取締役社長に就任。令和1年同社取締役退任し、令和2年より現職を務める。

メッセージ
島国・日本に生まれて72年。入社以来50年が経ちました。10年半は鉄鋼業界で仕事をし、その後は食品業界で40年仕事をしました。身を以て工業化社会から脱工業化社会に大きく変化した社会構造を体験しました。食品業界では、お客様の「ごちそうさま、おいしかった!」という声が聞きたくて仕事をしていたような気がします。「海の幸」「山の幸」という素敵な言葉があります。これからも、「海の幸」「山の幸」をお届けすることにお役に立てればと思います。