【会社名】株式会社 山一(屋号:めんの山一)
【住所】〒859-2113 長崎県南島原市布津町丙1763-1/島原工場:〒855-0016 長崎県島原市山寺730-2
【主な事業内容】手延そうめん、讃岐うどん、即席めん及び各種麺類の製造・販売、菓子製造・卸・小売
【取材先】陣野 一人(取締役)

※取材:2025年


島原市内唯一の製麺所を再始動

2023年、島原市で最後の一軒となった島原手延そうめんの製麺所が廃業した。島原手延そうめんの定義は「島原半島で作られる手延そうめん」だが、その製麺所の多くは南島原市にある。

そこは、夫を早くに亡くした女性が息子と切り盛りしていたが、高齢になり体力的に続けることが難しくなってしまったのだ。

島原市に島原そうめんの製麺所がなくなった――そのことの重みを受け止めた山一は、島原市の仲立ちで、やはり廃業した別の製麺工場を購入・リノベーションし、島原工場を開所することとした。

「そのお母さんも『島原でおそうめん屋やるんだったら、ぜひ味を引き継いでほしい』とおっしゃって、小麦粉の銘柄ですとか、配合の割合ですとか、お母さんの持っているすべてを伝授してくれました。業者さんのご紹介までしていただいて。それで、昨年(2024年)の5月から“島原市の”おそうめん工場としてまた再始動したという形です」。

陣野さんは当時を振り返り話す。

陣野 一人さん

業界で初めてISO9001S、長崎県版簡易HACCP段階7取得

朝3時、工場長は出勤すると、前日に一日かけて引き延ばしと熟成を交互に繰り返し、乾燥段階まで仕上げた麺の最終チェックをする。麺の乾燥が足りないようなら室内の温度を上げ、しっかりと水分を抜く。

乾燥を待つ「手延べ黒ごま麺」。

「前日18時時点の麺の乾燥具合を見て、工場長が乾燥部屋の空調をオート乾燥に切り替えて一旦帰りますが、天気や気温や湿度によってその調整が難しいんです。乾燥しすぎてもいけなくて、とくに『手延べ黒ごま麺(以下、黒ごま麺)』なんかは、乾燥しすぎると表面が白っぽくなってしまうんです。そうすると、黒ごま麺ぽくないし、ラックといって麺にひびが入ってしまう。そうなると、麺としては成り立っているんですけど、食べるとコシのない麺になっちゃうんですね。工場長の長年の経験と勘が頼りです」。

機織機に糸がかかる様子と似ていることから、麺を乾燥させるためのこの機器を「機(はた)」と呼ぶ。1日の作業が終わると22、23機が乾燥部屋いっぱいに並ぶ。
空気が上下によく回るよう、乾燥部屋の天井はスケルトンになっている。島原のそうめん屋はみんなこんな感じなのだそうだ。

こうしてできる麺は1日当たり約400kg。年間113トンにもなるその品質を守るために、同社は2003年に手延そうめん業界では初となるISO9001Sを取得。また2013年には長崎県版簡易HACCP活動で段階7認定を受けている。これはCodex HACCPと同レベルの厳しい衛生管理が徹底されているということにほかならない。取得には様々な決まり事を作り、その遵守が求められる。

「しっかり管理することで品質が安定します。伝統技術で作られる島原の手延そうめんづくりの中で、要所要所できちんと数値管理ができているのはウチの強みです」。

歴史が培った技術でブランディングを

昭和中期から平成前半にかけて、島原は有名ブランドそうめんの製造拠点として裏方に徹してきた歴史がある。それが明るみに出たときには世間を騒がせたりもしたが、島原にとっては、製麺技術の向上に専念できるということでもあった。

「当時は『麺が足りなくなった』と急な発注が来たりしたんです。多くの産地さんでそうめん製造を終えた夏場に来ることが多かったため、島原には夏でもそうめんを作ることのできる技術と知恵が蓄積されています。そうめんは麺が細いので、高温多湿の夏場は作るのが非常に難しいんですね。ですから、多くの産地さんでは5月くらいから冷麦や中華麺など太麺に切り替えるところが多いんです。ほかにも様々な条件や要望にお応えする中で、技術が上がっていったという歴史があります」。

いっぽうで、技術に見合うだけのブランドは育たなかった。陣野さんはこれからは「島原ブランド」を確立していきたいと話す。

「産地のことで問題になったときに『自分たちのブランドで売っていこう』という話になりました。黒ごま麺もその一環です。白いそうめんを売りに行っても、大手ブランドさんの前では試食もしていただけない。なので、目線を変えて何か特色のある商品を作って販路を拡げる必要がありました。その中で『練り込み』の技術が発達していったんですね。白いそうめんの悔しさがバネになって、ほかにはない黒ごま麺が出来上がりました。島原は反骨精神の塊みたいな産地だなと思います」。

いまでは長年育んできた技術を、香川県や五島の製麺所にお返ししています、と陣野さんは笑顔で話した。

「かけば」という作業。麺の状態を見ながらもっとも適した時間、適した力加減で、2本の棒の間に麺を8の字にあやがけしていく。少しでも力加減を誤れば、麺の太さが均等にならず味に影響を及ぼすので熟練の技が必須だ。この工程をしないと「手延べ」 とは名乗れない。
麺に縒りをかけることが、かけば作業では重要だ。麺が螺旋状になることでグルテンの構造が複雑になり、より一層コシが強くなるほか、引き延ばす際にも断面が丸く戻る。麺にかけた縒りは、熟成が進むとなじんで目立たなくなっていく。
こねと圧延を繰り返して強くなった麺生地は、「かけば」にかける前に細く伸ばされ、たらいの中でぐるぐると巻かれた状態で熟成を待つ。熟成が進み肌がしっとりとしてきたら、かけばに進んでいいよというサインだ。熟成のタイミングを見誤ると、かけばで狙った太さにできなくなる。

島原の自然の恵み、技術、伝統の全部が詰まったそうめん

「手延黒ごま麺」には、島原産のゴマが使われている「豊穣」というラインがある。

「島原のゴマもですね、おそうめんと同じ境遇だったので、ちょっとどうにかしたいという思いがあったんです」。

麺から飛び出しているゴマは、丹念に引き延ばして麺を細くした証拠。ザラっとした肌目は、茹でると原料のゴマから出る油分のおかげか麺の表面がツルツルになり喉越しもなめらか。展示会などで同業者に会っても「ゴマだけは練り込めない」と言われるそうだ。

島原では長年、農家の裏作としてゴマが作られてきた。難なくできてしまうため、農家自身はその価値をきちんと認識しておらず、訪ねてくる問屋に個別に売ってしまっていたという。そのようなこともあり、島原全体ではゴマがたくさん作られているにもかかわらず、産地として認知されてこなかった。

「農家のおばあちゃんたちが根気強く、何度も何度も唐箕(とうみ)で風を当ててゴマに混ざっているゴミを飛ばして掃除するんですね。せっかくそうしていただいているなら、やっぱり知名度も上げたいし、金銭的にもある程度お返しできるようにしたいと思って。これもやはりブランド化したいという思いがあります」。

いままで、出荷したものの自分のゴマがどうなっているのか知るすべがなかった農家のみなさんに黒ごま麺を見せると、みな一様に「おー!」と喜んでくれる。いまでは契約農家も15軒に増えた。

原料へのこだわりはこれだけに留まらない。小麦粉は島原産小麦と外国産小麦を使っているが、いずれも小麦の中心部分から作る雑味の少ない「一等粉」を使用している。これは1972年の創業当時からずっと変わらない。水はもちろん島原の湧水だ。

島原市で唯一のそうめん製造工場で作られる島原手延そうめんは、島原の自然、技術、伝統の全部が詰まった、島原でしか作り出すことのできない世界でただ一つの味だ。ブランドとして育つのもそう遠い話ではないだろう。

金属検出器を通った麺は結束される。結束帯の裏にはトレーサビリティ番号が記載されており、製造日、製造場所はもちろん、小麦粉のロットまで追跡できる。
職人たちはみな、真摯に作業と向き合っていた。山一の歴史は、現会長の小嶺 一春さんがお兄さんの作った島原そうめんを行商で売り歩いた1972年に遡る。社名の「山一」は小嶺「嶺」と一春の「一」からつけられた。「あと、手延そうめんで一番になりたい、という思いもあったそうです」と陣野さん。南島原市、四国・香川にも工場を持つ。