【会社名】株式会社 藤田チェリー豆総本店
【住所】〒855-0862 長崎県島原市新湊2-1708-1
【主な事業内容】菓子製造・卸・小売業
【取材先】藤田 浩巳(代表取締役)
※取材:2025年
島原の湧水をふんだんに
水の都、島原。市内には70を超える湧水地があり、その湧水量は一日20万トン超といわれている。
藤田チェリー豆総本店で作られる菓子のすべては、この湧水をふんだんに使い、活かして作られる。とくに社名でもあり、会社の顔ともいえる「チェリー豆」は、原料となるそら豆を夏場なら一晩、冬場は二晩、「湧水かけ流し」で豆から出る灰汁がなくなるまでゆっくりとひたす。



大切な工程はすべて手作業
創業は大正3(1914)年。初代・藤田 貞行は佐賀県鹿島市で陶芸をする傍らラッキーチェリー豆を作りはじめた。その味が評判となり、当時そら豆の産地だった島原に移り住んだのだという。
「最初はラッキーチェリー豆とカステラから始めて、少し経ってからざぼん漬も作りはじめたと聞いています」。
そう話すのは代表取締役の藤田 浩巳さん。株式会社 藤田チェリー豆総本店の4代目だ。

創業以来110年以上にわたり、味はもとより、製造方法も創業当時から変えずに守り続ける。もちろん、量産化、近代化のために機械化は導入されている。しかし、品質を保つために欠かせない工程は、いまも人によって行われている。
「ラッキーチェリー豆には地元の農家さんのショウガを使っているんですけれども、あと何日かするとショウガすりの作業に入るんですね。すりおろすのは機械がやってくれますが、届いたショウガをポキポキ割って、一個一個汚れを目で確認しながら包丁で取り除くのは人がします」。
夏に採れたショウガを寝かして水分をゆっくりと飛ばし、翌年の2月から4月頃にかけて3回に分けて届けてもらうのだそうだ。それを皮ごとすりおろし、冷凍にして1年間使う。1回分のショウガをすりおろすのに3日間かかるという。
「それとか、湧水で灰汁抜きしたそら豆は植物油で揚げるのですが、揚がり上がりに焦げや欠けがないかも一つひとつ目で見て選別しますし、揚げたあとは熱々の蜜を絡めるんですが、絡めたあと、今度は手で一個一個ばらしていくんですね。これは、熱々のうちにしないと全部くっついちゃうんです。柔らかいから力加減とかが結構難しくて、混ぜてる最中につぶれたり、割れたりすることもあるので、そうしたらそれも全部取り除きます」。
毎日ではないが、作業日にはそれを10回前後、20缶・160kg分するというからなかなかな重労働だ。




勘が勝負の「ざぼん漬」
1世紀以上にわたり地元で愛されてきた同社には、チェリー豆のほかにも同様に愛されつづけてきた味がある。その1つが、先ほど話にも上った「ざぼん漬」だ。原料のザボンは、鹿児島県の農家から冷凍で送られてくる。

「昔は乾燥のザボンを使っていましたが、どんどんと農家さんがやめられてしまったんですね。そんなとき、10年ほど前ですが、いまの農家さんに出会って、それからは生のザボンを冷凍して送ってもらって、それで作っています」。
「ざぼん漬はまず、ザボンを湧水で炊くんですね。朝6時過ぎから始めて、半日くらいかな。何時間もするんですが、ザボンの苦味をいい具合に残す加減が難しいんです。あまり炊きすぎると苦味が抜けすぎて甘いだけになってしまうし、足りないと苦味が勝ってしまうし」。
絶妙な苦味に仕上がったザボンは次に、代々継ぎ足し継ぎ足しで醸成されてきた糖蜜で黄金色に炊かれる。その炊き具合も、季節や天候、糖蜜のテクスチャーで毎日変わる。すべてが長年培ってきた勘が勝負だから、どこにも真似のできない、唯一無二の味となる。






幸せを桜の花びらの形に乗せて
ところで「ラッキーチェリー豆」というユニークな名前はどこから来たのか?
「初代がまだ鹿島にいたころ、近くに住んでいた英語の先生につけてもらったそうです。その場所が桜の名所だったことと、チェリー豆の形が桜の花びらに似てるというので、チェリー豆に。それに、召し上がった方が幸福になれるようにということでラッキーを足して、ラッキーチェリー豆というふうにつけたと聞いています」。
大正時代には、さぞかしハイカラで洒落た名前として受け入れられたことだろう。

これからも代々受け継いできた伝統の味を守っていければ、と話す藤田社長。ザボンの仕入れ先が変わったように、そこには原材料の安定供給も含まれることを考えると、現状維持はもはや進化ともいえるかもしれない。
変わりゆく時代の中で、変わらぬ味を実直に作りつづける藤田社長をはじめとする職人たちは、今日も幸せを桜の花びらの形に乗せて、届けつづける。





